菅 真継って人

自分の人生を振り返る

1986年京都市上京区に生まれる。五黄の寅。36年に一度くる珍しい寅年らしい。実家は八百屋。

母親曰く、泣き虫だったそうです。母親の顔が見えなくなるとすぐに泣いていたそうです。今では考えられないです。笑

保育園に入った頃には今の性格とほぼ変わらない。負けず嫌い、目立ちたがり、短気、人を笑かすのが好き。ちなみに4歳の時はこんな感じでした。

一人で床屋さんに行き、大人みたいな髪型にして下さいって伝えたらパンチパーマみたいなのをあてられた。両親が共働きで忙しかったのと床屋のおっちゃんをよく知っていたので三輪車にまたがり一人で通っていた。

パーマが仕上がった時は震えるくらいかっこいい!!!と思った。

次の日ルンルンで保育園に行くと先生に爆笑された。え!?なんで笑ってんの!?って思ったのを覚えている。今考えれば爆笑ですよね。それでも大人に憧れていた僕はしばらくはこのままでいた。けどあまりに笑われるのが恥ずかしくなりバッサリ髪の毛を切ったのを覚えている。地元には変なおっさんが沢山いて楽しかったな~。地元は千本中立売付近で、近所には千本日活やヤ〇ザの事務所があった。三輪車にまたがり水鉄砲を片手に変な奴がいたら攻撃していた。

小学生時代

保育園を無事卒業し、なんとか小学生になれた。小学校には沢山の人がいて上級生は大人に見えた。性格は全く変わらず目立ちたがりのお調子者だった。1年生、2年生の時はとにかく友達と遊びまくっていた。3年生の時に事件は起きた。相変わらず勉強は嫌いで友達と遊ぶのが好きだった。そんな普通の小学生ライフを送っていたのですが、ある日友達の下敷きが盗まれた日から少し人生が変わった。

友達が「先生に下敷きがなくなりました」と言うと先生は僕に向かって「出しなさい!」と言ってきた。初めは意味がわからなかった。女の先生は完全に僕が盗んだと決めつけていた。目立っていたからだろうか?でも盗んでいないので僕は「取ってないです」と先生に伝えた。それでも先生は「あんたしかいない!」と言ってくるのだ。悔しい気持ちでいっぱいになった。そして廊下に立たされた。結局下敷きは本人のカバンの中から出てきた。友達は僕に必死に謝ってきた。自分のせいで廊下に立たされたと何回も謝ってきた。でもそいつが謝る必要なんてない。無実の僕を犯人にした先生が悪い。幼いながらそう思った。先生は間違ったことをしたくせに謝らなかった。その日から先生に対しては不信感しかなかった。そして先生はどんどんエスカレートしていった。問題が起きるたびに僕のせいにされた。そうやって怒られることに慣れることはなかった。いつの間にか反抗するようになり、先生を攻撃するようになった。授業中にどんぐりを100個くらい先生に投げつけたり、窓ガラスを割ったりしていた。学校も途中で抜け出すこともあった。そんな時に親が僕に対して違和感を感じて「何かあったのか?」と聞いてきた。今までの事を全て話すと親はブチギレだした。うちの親は怒ると死ぬほどコワイ。親父にいたっては小学校にのりこみに行った。数時間経つと校長室に行くことになって一人で歩いて行った。校長室に入ると校長と親父が仲良さげに喋っていた。よくよく聞くと親父が小学校の時の担任だったらしい。そんな話はどうでも良いのだが、問題の先生は僕に対してだけでなく他にも問題があったみたい。問題が明るみになりその先生がその後、学校に来ることはなかった。この先生のせいで「先生」というもの自体が大嫌いになった。そして大人なんかアホばっかりだと思うようになった。

新たな担任

飛ばされた先生の代わりにきた新しい先生は女性の方で熱心で僕に対して真っすぐに向き合ってくれる人だった。先生という存在に拒否反応を示す僕に物凄い時間を費やしてくれた。暴れる僕を小さな身体で一生懸命にとめてくれた。涙を流しながら抱きしめてくれた。めちゃくちゃ怒ってくれた。何カ月もそんなことを繰り返してくれた。夏休みには先生の実家に泊まらせてくれた。先生の子供や、旦那さん、先生のお母さんとかもいた。みんなが優しくしてくれた。先生はたった一人の10歳のガキのために本気でぶつかってくれて、信頼関係を築いてくれた。先生の家族の前で約束をした。もう一度先生というものを信じて真面目になると。その日は何故か涙が止まらなかった。先生も泣いていた。今でもその日に先生が作ってくれたカレーが忘れられない。その日以降真面目に過ごし小学校を無事に卒業しました。

第二の試練、、、中学編

K中学に入学したのですがそこは動物園でした。

金髪の先輩、制服通学なのに私服の先輩、一言でいうとヤンキーみたいな人達が沢山いました。コワイな~なんて思いながら登校していた。同級生にはアホみたいにヤン毛が長いTくんとか、天然ボケヤンキーのOくんとか、見た目はイケイケなIくんとか、一番うるさいMくんとかもいた。

担任の先生が何故かいきりまくっている。嫌な記憶がよみがえる

「俺は鬼の〇〇や!」「言う事聞かない奴はようしゃなくしばく」と気合い入りまくった変な奴だった。そしてその時が来た。教室で問題が起きたときに僕が呼び出された。何もしていないのに。見た目がヤンチャそうに見えたのか?学校にある怒られ部屋に連れて行かれた。ドアを閉めた瞬間パーッン!とビンタされた。謝れと言われた。しかし身に覚えがないことなのでキレてしまった。先生の胸ぐらをつかみ投げ飛ばした。そのまま部屋を出て行った。またか!またか!先生なんか信用するか!こうなれば徹底的に反抗してやろう!そう思った。その先生は懲りずに僕の友達にも同じようなことをした。キレた友達はその先生をボコボコにしてしまった。その先生は登校拒否になった。生徒に反撃されて登校拒否になったのだ。所詮子供だと思っていたのでしょう。何が鬼じゃ!ざまあみろ。そんな気持ちだった。1年が終わり2年になり周りはどんどんエスカレートしていく。毎日誰かが暴れている。バイクで走り回っている。教室でタバコを吸っている。まじめな奴等ですら廊下でタバコを吸っている。どマジメな奴等はバレない場所でタバコを吸っている。そうまさに動物園なのです。トイレは使い物にならないほどぐちゃぐちゃにされていたし、窓ガラスは割られまくっているし、屋上からは何が降ってくるかわからない。僕はヤンキーになりたいとかは一切思わなかった。けれどヤンキーの人より目立ちたかった。保育園の頃から変わらず目立ちたかった。「自分」を貫く。ただ今思うとやっている事は周りのヤンキーの人達と変わらなかったのかもしれない。教室でタバコを吸う奴がいれば職員室で吸ってみる。先生には徹底的に反抗を繰り返す。授業には出ない。友達と必死に遊ぶ。女子も男子も元気な人達が多かったので次第に歯止めがきかなくなり一時期は廊下に少年課の人達が見張りをしにきていた。今の上京署の方々です。荒れ放題の中学校でしたが僕は友達が好きで好きで仕方なかった真面目に授業を受けたい人からすれば最悪な学校だったと思う。もしくは地獄だったと思う。弱肉強食の世界だったので強い奴が一番みたいなところがあった。言えないことがほとんどなのでこのくらいにしておきます。

人生を変えた人物

まるで漫画みたいな中学生活を送り始めて三年目。中学三年の時にまた担任が変わった。どうせ大人だし、どうせしょうもない奴だろう。そう思いながらも心のどこかで良い人ならいいな~なんてことも思っていた。

担任になったのは当時26歳くらいの若い男性。元気で無邪気な先生だった。その先生は他の先生とは全く違う。一瞬でわかった。僕が問題を起こした時に担任に呼び出しを食らった。狭い部屋で先生が一言こう言った「タバコだせ」僕は没収されるのが嫌だったので断った。そうすると先生がまた一言「一本くれ」僕はコイツなに言ってんねん!と少しイラっとしたが一本だけ渡した。渡したタバコにすぐに火をつけ吸いだした。

先生はタバコが切れて困ってたんや~と言った。

変な先生だけど今までの大人とは全く違う。

時には一緒に悪さもしてくれた。話も聞いてくれた。家にご飯も食べにきたりもしていた。先生の家にも泊めてもらった。副担任も家に泊めてくれたしメシもおごってくれた。先生の家のビールを勝手に飲んで怒られた。勝手に飲むな!と。ビールを飲んだことに怒るのではなく勝手に飲んだことに怒っていた。

とにかく僕の目線に立って喋ってくれた。しかし今までの習慣ていうのは中々なおらず、授業には入らない。すぐキレる。気分が全て。

それでも先生は根気強く向き合ってくれた。

ある日、学校へ行くと先生が朝マック行こうぜと言ってきました。続けて暴れたふりをしろと言われました。僕は言われるがままに暴れたふりをした。教頭がやって来たところで担任が「コイツちょっと連れ出します!」教頭に伝え僕を車に乗せてニコッと笑った。うまくいったな!と。

そのまま二人で朝マックをしに行った。食べ終わると担任がもう一軒付き合ってくれと言った。連れて行かれた先は障害施設だった。

こんな場所になんの用やねん!と言うと、部屋の前で足を止めた。

担任が僕に見てみろ!

そこには寝たきりの同級生くらいの人がいた。

担任がまた僕にこう言った。

あの子は自分でしたいと思っても出来ない。勉強したい、スポーツしたい、ごはんが食べたい、そう思っても一人で何もできない。やる気があっても出来ない。

お前はやる気があれば何でもできる!できるのにやらない事がどんだけ情けないことか。僕の記憶では涙を浮かべ語りかけられていたはず。

「できるのに、やらない」物凄く考えさせられたし胸に突き刺さった。今までの自分が恥ずかしくなった。悔しくなった。

残り少ない中学生活を頑張ってみないか?と言われ僕はうなずいた。次の日から特訓が始まった。特訓といってもまずは授業に出て10分間椅子に座ることから始まった。

それを機に僕の意識は少しずつ変化していったのだ。この先生がいなければ僕の人生は無茶苦茶になっていただろう。感謝してもしきれない。

みんなは高校受験に差し掛かっていた。元々行くつもりはなかったが何となく行きたくなり担任に相談した。親も同席した。どっか行ける高校あるかな?と聞くと笑いながら「ない!」と言われた。京都で一番アホな学校すら行けないと言われたので僕もあっさりとあきらめがついた。

しかし数日後、担任が高校の先生がお前を見に来てくれるぞ!と嬉しそうに言ってきた。実は小学校からサッカーを習っていました。うまくいけば特待生で入学出来るという素晴らしい話だった。そして無事に特待生で高校に入学した。高校に入学しても色々と問題はあった。そして中退した。

でもこの決断こそが自分にとってのターニングポイントとなる。

社会に出て

高校を辞めてすぐに働きだした。色んなことをした。

引っ越し屋、現場系、時にはスーパーでも働いた。むちゃくちゃ怪しい地元にある服屋でも働いた。その服屋の仕事は基本的にはヤ〇ザのおっさん達の車の見張り番。服を買いにくる人なんていなかった。週に一度ヤ〇ザしか来ない。単純に面白くなかったのでやめた。

そして運命の会社と出会う。そこもアパレル会社で当時は20店舗くらいあったのかな?多分。そこは超スパルタ会社で、一般的にいうブラック会社。でも先に言っておくがブラックだと思ったことは一度もない。今もそうは思わない。

一日13時間労働、休憩は20分くらい。多い日は15時間。店を任されるようになってからは休みという休みはなかった。そんなのが当たり前でノルマみたいなものもあった。先輩は理不尽な奴ばっかり。ボコボコにやられるスタッフもいた。まるで軍隊のような会社だった。でもコワイとかいう感情は一切なかった。やられたらやり返す。育ちが育ちなのでそうゆ環境がむしろ当たりまえだったから。

その会社に入社すると、中学時代の知り合いが一人いた。そいつは俺にこの会社は先に入った者が先輩だから敬語を使えと言って来た。カチンと来た僕はそいつをしばいた。まだ18歳という若さだったので我慢が出来なかった。そいつはその日から僕の後輩にしてやった。僕はこの会社で成り上がってやる!絶対に一番になってやる!と強く思った。約四年間お世話になり自分の中で一番になれた気がしたので辞めた。そこから独立に向けて動きだして25歳の時に今の店を立ち上げた。

大人になるにつれて視野が広くなり、地域の事なども考えるようになり現在の活動につながる。

ま、書けないことが多すぎるのですがざっとこんな感じです。

波乱万丈な人生を送っていますが毎日が楽しくて仕方がない。誰よりも努力をし、誰よりも傷つき、誰よりも目立ち、誰よりも強い男になりたいと思う2019年であります。

強い=優しい

無償の愛です。

学生時代に迷惑をかけた人達も沢山いるが過去には戻れないしこれからの生き方で認めてもらえるようにします。

僕が出会った来た子供をバカにするような大人ではなく、子供であろうが大人であろうが真剣に向き合ってくれたあの二人の担任みたいになりたい。頭で考えるんじゃない、気持ちで応える!本気で生きる!

二人の担任がアイツの担任で良かったと思えるようになりたい。だからもっともっと与えてもらった愛を他の人に届けなければならない!

仲間は沢山いる!!今まで勉強もせずに遊びまくっていたおかげで友達だけは滅茶苦茶いる!テッペン目指して頑張るで!

俺の手で衰退傾向にある地域を明るくして、カタチになった時には先生に報告したいと思います。それまで死ぬなよ先生!

自店のroom488、上京区活性化、ともに盛り上げて行きたいと思いますのでどうぞこれからも宜しくお願い申し上げます!